バイクのブログですが、しかも久しぶりの更新ですが、エヴァのことを書きます。公開初日と木曜日に観て、やっぱりこの気持を何かに残しておきたく。
ガッツリとネタバレ有りなので、未見の方は引き返していただけると。
結論としては映画には大満足です。
でも、この感想を不思議に思っています。
なんでコレで満足できたんだろう?
ずっと願ってきたカタルシスに満ちたエンディングを観たわけでもないのに…。
ともすれば、陳腐な描写に違和感すらあったような気がするのに…。
本当は、こっちの感想になってもおかしくなかったはず。
自分語り
さて、だいたいエヴァンゲリオンの話をすると自分語りになりますが、本題に入る前に僕も少しだけ。初めてのエヴァは漫画版です。アニメ放映前の1995年8月末日にコミックス1巻が出てるんですが、それを書店で偶然見つけて購入。買ったのは9月だったのかも?「あのガイナックスが新作アニメをやる!」というので、めちゃくちゃテンションが上がり、マンガを読んでもっと上がって、ワクワクして放送日を待っていました。
※関係ないですが、貞本義行さんのマンガといえばエヴァの前にニュータイプに掲載された壁に囲まれた街で主人公がビッチなヒロインに絶望して去っていく話が最高に面白かった。(『ROUTE20 歯車のある街』かな?)
※当時の僕のアニメ知識は、ガイナックス=ふしぎの海のナディア、トップをねらえ!で、庵野監督をそんなに意識していなかった気がする。
そして、観てみたら最高の出来だったわけです。当時、浪人中だったので、勉強の合間に週一のエヴァを観るのが最高に楽しかった。
後からエヴァが評価されるときに、最終回あたりの話ばっかりで微妙な気持ちになりました。クライマックスまでのロボット・アニメとしての面白さやアクションの凄さ、カタルシス、演出のカッコよさや世界観、デザインの新しさ…。まっとうなアニメとしての完成度にも触れてよ、と。
あの最終回の後、最高のカタルシスを求めて旧劇場版も見に行き、「私に還りなさい〜」が流れてきて「帰れねーよ!」という叫び声を聞いたりしました。あれは、新宿だったかな…。
なので、新劇場版もそこまで熱はなかった気がします。というか、序すら2007年…。覚えていないはずだ。
とはいえ、破はすごく楽しみました。あれこそカタルシス!この調子で作ってくれ〜!と思いました。そうなってたら、今はまた違う感想だったのかな…?
やっと本題
さて、どう終わらせるんだろう?終わるのかな?と思い観始めたのでした。
パリのアクション、すごいけどQのアバンと同じというか、既に見た!感。
※2019年のジャパンエキスポで公開された0706作戦と同じなんだから、本当に既に見てました。
そして、第3村へ。Qのラストのシンジくんのテンションがイマイチうろ覚えで、なんでシンジがまた落ちてるんだろう?と最初、少し不思議でした。あ、カヲルくん爆死直後かと納得してから同情しましたが、アスカの圧が怖い。
トウジたち生きてた、黒波とプラグスーツと農作業のミスマッチの面白さ、シュガシュガルーン、などと楽しみました。
で、ヴンダーに乗り込んだ後…。あれ、シンジ、すぐ戦わないんだ。
そして、いろいろあって、シンジくんが槍を使ってカウンセラーを始める。みんな素直な患者として癒やされていく。
で、オチへと。
いやー、良かった。
スッキリした。
槍を使って全てのエヴァを消していくところ、ユイとゲンドウのシーンは少し泣きそうになったし。
…でも
……うん
………陳腐ですよね。
普通の人々の普通の生活に触れ、心を開く黒波。
黒波の献身で鬱から脱し、周囲の励ましと黒波の犠牲から、ゲンドウと向き合おうとするシンジ。
シンジに接してやっと自分の心に向き合おうと、心情を吐露するゲンドウ。
そのままでいいと認められるアスカ。
Qの酷い態度をフォローされつつ、母として死んでいくミサト。
あまりにありきたりだし、シンプルな展開。
本来なら、怒ってもおかしくない気がする。
でも、素直に良かったなあと思ってしまった。
なんでだろう?
アクションも期待したものは無かったですね。マイナス宇宙に行ってからの初号機VS13号機は無意味だし、茶番だし。暴力と恐怖は無意味ってゲンドウさんも言ってた。だから、アクション・シーンはほぼ無かったとも言えます。
いろいろ思ったんだけど、なんだか成長を喜んだような気がします。
シンジくん、大人になったな〜。
ゲンドウ、やっと向き合えたんだね。
みたいな親目線。
老いかな?
そして、何よりも庵野監督が、そこに至ったんだね良かったねという気持ち。
もちろん、ちゃんと終わってくれてありがとうという気持ちはあります。
でも、本当にそうかな?まだ納得できない。でも、良かった。楽しかったという気持ち。序破Qも旧劇も2回も映画館行ってないんだけどな…。3回目も行ってしまいそう。
あ、ちなみにキャラへの思い入れは無いタイプなので、雑なカップリングはそんなに気になりませんでした。とはいえ、マリって何?とかは思いましたが。マリ=安野モヨコ説はどうなんですかね。安野さんのマンガを読んでると、そういうウェット感キライそうな。いや、そういうウェットでダメなとこ含めて監督くんのことが好きなのか?
でも、ミサトさんが一番好きだったんで、最後帽子取ったら以前のスタイルになったのは好きでした。シンジとの関係も疑似母子になって良かった気がする。
結論?
思い出したんですが、ふしぎの海のナディアのTVアニメが終わった後にPC98でナディアのパソコン・ゲームが出たんですよ。確か、黒いノーチラス号が出てくるヤツ。それに関してアニメ誌で庵野監督にインタビューしてたんですが、「ナディアはもう終わったんで知りません。勝手にしたら」(意訳)的な答えをしてるのを見ました。そのときから「作者と創作物は別に考えよう」って思うようになりました。
そんな監督も、大人になったな、と。監督は年上ですが、シンエヴァのラストのシンジの気持ちになってゲンドウの気持ちがわかった感じというのでしょうか。
そして、やっぱり、シンジのカウンセリングが良かったのかな?そこから実はカタルシスを得ていたのかもしれません。ああやって、一人ひとり片付けられたのが今までにないスッキリ感があって良かったのかも。しかも、それぞれのTV、旧劇、新劇を全て網羅した気になる解決がうれしかったのか?僕もカウンセリングされたんですかね。
まだまだ、この満足度に納得できない気がします。
さて、TVアニメ、旧劇、序破Q、マンガを見直して、また行くかな。
ちなみに、一番共感したレビューはこちら。